どーしよーもないけど何とかなる

日々の恋愛、身体の事、コミュニケーション障害の事、美容の事などなど。その時の気分で書きなぐります!

「んまんましてくれるの?」まるいおんなのこ、おとこのこが批判される理由

Twitterで「キモイ」とひたすら叩かれている恋人同士の四コマ漫画、まる作の「まるいおんなのこ、おとこのこ」について書いてみようと思う。

 

この、まる氏は、四コマ漫画の他に、絵本、ラインスタンプ、カフェとコラボなど、各方々にコンテンツを展開しているので、こちらのブログではなく、芸能人関連についてのブログに書こうと思ったけれど…。マスコミなどに露出しているわけではないので、一般人枠として、小林ギリ子と同様、やはりこちらのブログに書こうと思う。

 

私が、この方の作品を目にしたのはツイッターで。「マジでキモイ。」という内容で添付されていた四コマ漫画二本だった。

 

一つ目は、

 

・んまんま(言語化できないので、Twitterで検索してください)

・溶けたモナカのアイスをグチャグチャに食べ、泣きながら手や口を汚し「何このアイス~」とグズる女性

 

というものだった。

 

まるという人が描いた、「まるい、おんなのこ、おとこのこ」を読んだ多くの人々が、

 

・ノロケというものは、その二人の間で完結するもの。外部に出してはウケない。

・恋人同士の世界をコンテンツにしてはいけない

 

だいたい、この2点だった。

 

けれど私は、この作品の不快な点には「ノロケ」という要素だけではないと思った。

それが、このモナカのアイスを読んで思った。

 

理由は、1度や2度ではなく、買ってきたばかりの溶けかかったアイスを、迷うごとなく食べて、案の定、汚い食べ方をする。そして泣いて「上手く食べられない、なにこのアイス」と、過去にも同じことをしたにもかかわらず、学習せず、グチャグチャにしたモナカアイスを手に泣きグズる様に「何度目だ。」と言いながら彼氏である「おとこのこ」がおせっかいを焼く。

 

それを可愛らしく描いている様子に、違和感を抱いた。

 

この「おんなのこ」は設定年齢は何歳なのだろうか。もしも成人しているのであれば、知性、脳の障害があるのかもしれない。

 

しかし、初めは単に「不器用な天然なおんなのこ」を描いたのだと思っていた。そして、その天然な女の子の失態の数々を、優しい彼氏がすべて後始末や尻ぬぐいをしている。それを、可愛らしく描いている様に、おんなのこの「あざとさ」が丸見えで、とても白けてしまったのだ。

 

そして、Twitter内で色々な声を拾った。

 

・ガイジ

・親代わりの彼氏に依存している

養護学校卒の成人女の哀れな姿

・キモイ

・んまんまって何だよ…

 

この、軽度の知的障害を負ったおんなのこが、献身的なおとこのこによって可愛がられ、赤ちゃんを育てる様に世話を焼いている。素晴らしい姿なのだろうけれど、そこに釈然としない、或いは「キモイ」とまで言われてしまう理由は、可愛らしく見せる「ブリッコ」の絵柄で、わざわざ見せつけていることかもしれない。

 

本来なら、上手く食べられない様子や汚らしく食べる事は、躾のない恥ずかしい行為だ。それを可愛いタッチで誤魔化して、あわよくば「愛されている幼い成人女性」として描いている様に、違和感を感じた。

 

作者の意図する事と、読み手が受けた感情が、これほどまでかけ離れた漫画はそうそうないと思う。編集者が手を入れない事が、ここまで炎上を招くとは…。素人漫画の恐ろしさである。

 

けれども、この一件幸せなカップルの日常の四コマが、なぜここまでして不快感を与えるのか。その理由・要素は、私の中でははっきりとわかっていない。

 

障害者にとって都合の良い夢が、「まるい、おんなのこ、おとこのこ」には沢山描かれているからか。

 

その「都合の良い」が、何もしなくても彼氏が世話を焼いてくれるという、もはや厚かましい(図々しい)、甘やかされている大人というみっともなさが、ギャグではなく「可愛さアピール」として凝縮されているところなのだろうか。

 

ダメな大人を開き直って可愛いものだと思っていては、いけない。

 

知的障害を負った可愛い言動や態度、行動を私的空間で留めず、漫画という外のコンテンツにするとなると…。精神・知的障害を負った人の犯罪の様で、手に負えない敗北感を抱く。

 

そして。ギャグなのか、ほのぼの漫画なのか、ハンディを負ったおんなのこと健常者のおとこのこの恋人の日常を描いたものなのか…いずれにしても、どれも中途半端で雰囲気漫画の域を出ていない。障害者ビジネスにしたくないのは良く解るのだけれども。

 

あくまでも「可愛いでしょ」という主張が強すぎて、萎えてしまう。

 

まだまだ、この作品の不快要素を考えてみたい。

 

最後に。世の中に居る知的障害者がすべて他力本願とは思いたくない。

乙武の様に、身体障害という事を武器にして他人の良心を逆手に生きている人ばかりではないと。

 

(未完・追記、訂正、修正あり)

小林ギリ子が不快な理由

小林ギリ子と、彼女の描く漫画が嫌いだ。中には、共感できる内容もあるけれど、ほとんどが内容の本質ではなくて、彼女自身に嫌悪感を抱く。あるあるネタではあるけれど、読んでいて「不器用過ぎてイライラする」のだ。

 

性被害の事、思春期の問題、労働問題など、社会の被害に遭わない様に解りやすく漫画で描かれているので、とても参考にはなるし、良い問題提言にもなると思う。特に、小学生~大学生、会社員歴が浅い人達(若手)などなど、他にも教育関係者や、もっと体裁を整えられたら各省庁関係者にも勉強になると思うし、政策提言にも繋がるかもしれない。とは言え、余りにも漫画の描き方がどうも独り善がりで、ただの世渡りが下手で、社会生活において頭が回らない女の子を、被害者意識が強い目線で描いたものに見えてしまう。

 

彼女も、発達障害なのだろうか。

 

私は、彼女の漫画を辛抱強く読み続けていたら、「恐らく『小林ギリ子』という人物は、価値観が定まらない中学2年生~社会の壁に初めてぶつかった大学生なのではないか。」と思っていた。すると、どうやら30代だという事が解り、血の気が引いてしまった。

 

「お前と話してると世間知らずの女子高生と会話してるみたいで疲れる」20代の頃、そう言われた事が私にはあった。発達障害の実年齢と精神年齢は合致しないし、話す内容や言動を聞いて「17,18歳」と言われてもおよそ間違っていなかった。

 

小林ギリ子を漫画から人となりを感じ、不快に感じるこの感覚は、私が今まで出会ってきた人々に与えてきた不快感と近しい物だったのだ。

 

「大人しいくせに、頑固」

「真面目な奴って、なんで我が強いの?」

「生意気」

「面倒くさい」

「残念なお嬢様」

 

つまり、ナメられやすく、反論の仕方が小林ギリ子と私は似ていたのかもしれない。対人関係が恐ろしく下手くそで、ヒエラルキーの存在やパラダイムの中でどう生きるか、不満があれば、どの様に対応すべきか。それが欠如している。スマートまではいかないまでも、不器用を超えて「馬鹿で怖くて、見てられない、痛々しい」存在なのだ。

 

たまに、彼女の母親が出てくるけれど、コンプレックスを抱えた両親がギリ子を産み育てたら、この有様だ。

 

両親が、どこかで自分の人生の躓きを「昇華」しない限り、やがてそれは子ども(ギリ子)に影響し、被害者意識ばかりの強い面倒くさい女性になってしまうのだという事も、よくわかった。

 

この面倒くさい女性によって、各方々に色々な気づきを与えたから、「必要悪」な存在でもあるけれど。

 

彼女が漫画以外で少しでも承認欲求を満たされる経験があれば、漫画の描き方・表現も違ってくると思うのだ。例えば…言いたくはないけれど、

 

・一緒にいて楽しい社会性の高い友達や仲間(男女問わず)

・漫画以外の趣味

・本を沢山読む(教養、知性を)

・学力の底上げをし、大学に入りなおす。

・「女」としての魅力を周囲から認知される。

 

彼女は、負によって生きている様に見えてならない。自分と似たような負を抱えた人達、つまり類友で固まり、凝り固まった被害者意識を抱えた人達と肩を寄せ合って生きている。

 

まずは、両親からキチンと愛され、女性として、人として認められる機会があれば良いんだけれど。

 

それが出来ないから、自分を唯一表現出来、そして負の承認欲求を満たしてくれるのが、あの漫画なのだと思う。そして、それ無しに自分ではいられない。あの漫画を描くことに依存してしまう。

 

同族嫌悪かもしれないけれど、彼女には、もう一度人生をやり直せるような機会があれば良いな、と思う。素敵な恋が出来ます様に。

身の丈を解らない女子や女性達

散々語り尽くされてきたテーマだとは思うけれど、私も実体験を通じて痛感した事があったので、綴ってみたくなった。ドラマのタラレバなんちゃらとか、一昔の恋愛工学だとか、実際は読んだりしてはいないけれど、概要を色々と耳にする事で、急に学生時代の自分を思い出してしまって。

 

要するに、身の丈に合わない人とどうにかなりたい、という事なんだろうと思うけど、これは女性の立場からの意見の身になるけれど、女の子として産まれたら当たり前だと思う。良い遺伝子を残す為云々と言った自然の摂理の話は、ここではしない。私は、可愛がられて育った女の子が、世間で「自分と他者」を知って「身の丈を知る」「成長する」「身の丈を知る」「成長する」…を繰り返し、女性になっていく事が、「通過儀礼」だと思っている。ごくごく一般的なパターンで育った場合の話ね。

 

私は、発達障害や虐めを経験して、所謂、承認欲求が満たされていない学生生活を送っていた。それでも、学問を励んで頑張り屋の姿を認めてくれる、誰かが好きになってくれる、自分もそんな一所懸命な生き方(間違った方面を見た努力をしてた事に気づかなかったけど)をしている自分を誇りに思っていた。自分が、大好きだった。

 

正直で、素直で、まっすぐで、正義感があり、でも弱者。だから、学問を頑張って、何とか認めて貰いたい。そして女として異性として、誰かに守って貰ったり、戦力として頼られる存在になったり…そんな理想を胸に、ただただ毎日を過ごしていた。

 

本当に、自分が見えていなかった。

 

そんな自分に近寄ってきた人は…衝撃で絶句だった。ガンで余命を診断されたかのような、絶望感だった。今までの自分の人生は?これからだと思っていたのに、私の頑張りの結果が…この結果なの?

 

私はそこで、初めて「自分の商品価値」を痛感したんだ。帰りはどうやって帰宅したのか覚えていない位、ショックだった。

 

発達障害ゆえか、私は身支度やメイクなど、「女の子らしい華やかさ」に興味関心が全くなかった。虐めに遭うまでは、友達付き合いとして流行を追った外見をし、整えていたものの、基本的には基礎的な身支度が出来ないでいた。そして、適応障害になって、更に拍車がかかって、清潔感さえ失っていた。

 

その時の私は、165cm、58kg、丸顔、ニキビ、一重、オシャレな服なんて当然着ないし、カジュアルな服だって着こなせなかった。それでも、真面目な性格や学歴コンプレックスからくる学問の向上心という「中身」の自分がアイデンティティ-だと、何度も繰り返してしまうけれど、誇りであり、ポリシーだった。

 

でも、その位の我の強い私を壊され、現実を思い知った出来事が、先に述べた事。

 

「乙女心」が持つ「芯の強さ」だと思っていた信念は、崩された。

 

そこからは、大変だった。まずは今まで信じていた清らかな心を棄てなくてはいけなかったから。自分をまずは「否定」する。

 

親からもらった顔を、偽るという行為をする。「メイク」をし始めた。

 

アイプチをした。

 

丁度その時、体調を崩してしまって、体重が50kgになり、着ていた洋服もブカブカになった為、新調した。

 

洋服のセンスを変えた。

 

フェイクのパールのピアスやネックレスをした。

 

それだけで、今まで虚勢を振る舞い見下していたような娯楽施設にも、入れるようになった。オシャレなお店にも入れるようになった。色んな人と堂々と目を見つめて色々な事を尋ねられるようになった。行動範囲が広がった。文化的な経験値が一気に高まった。

 

それまで、一般的には友達とワイワイ学生時代に経験するはずだったことを、社会人になって初めて経験した。

 

学生時代の、同窓会に参加した。

 

私をバカにする様な人は、もういなかった。遠巻きにこちらを伺っているが、馬鹿になんかしてこない。

 

私に近寄ってきた人は、私を見るなりフェードアウトした。

 

自分を「否定」する。この行為が本当に辛かった。今まで美しいと感じていた価値観の真逆の事が、社会において適していた事だったから、本当にショックだった。でも、このショックと引き換えに、迫害される事もなくなった。色々と友達の輪も広がった。

 

勿論、中には悪い人もいた。それを見定めたり見抜いたりしなければいけない処世術も、身に付いた。

 

その事で、矛盾している様だけれども、本当に自分が理想としている人と親和性が高まってきたと思うし、付き合っていった方が良いお友達をふるいにかけて見定めたり、適度な距離を置くという対人関係も出来てきたと思う。

 

あの時の出来事は、本当に、本当にショックだった。

 

アラサーになって、厳しい現実を突きつけられてしまった世間の女性達よりも、ショックは強かったと思う。だから、オシャレで仕事もして合コンに行ったり出来る様な、学生生活もそれなりに華やかだった女の子達が、アラサーになって壁にぶつかっている事。それなりに真っ当な人生を送ってきた女性達がアラサーになって理想的な結婚や恋愛を出来ない事に対するショックを受ける気持ちは、凄くよく解る。

 

妥協しろ、という言葉は適切ではないと思う。成長のために、一旦、自分を否定して、自分をアップデートする勇気。

 

そんな事、簡単には出来ないと思う。私だって、あの時の経験がなければできなかったから。

 

どんな経験か?

 

あの時、外見に気を使わず、自分に誇りを持っていた、自惚れていて、自分の素こそが純粋で美しいと思っていた時に起きたショック。

 

それは、モッサリ系のメガネでコミュ障、ドラえもん体型で、顔は銀魂に出てくる某バカ皇子。顔もまん丸太っていて青髭、背は160cmあるかないか。ナルシストな同級生に告白された事だ。

 

今まで、その同級生は中高と好きになった子に対して告白するも「生理的に無理」と断られたり、大学時代では告白されて「キモい…」と言って泣いて走って去ってしまった女の子もいた位だった。(本人談)

 

そんな人が私に、告白をしてきた。

 

「貴女を見ていると、僕よりも可哀想な人がいるんだって、安心するから。好きです。付き合ってください。」

 

色々と、苦笑いしてしまう様なダメージが大きいそれらの言葉は、当時の私には核爆発波の威力だった。勿論、私が説明したその同級生に対する人物像の印象や伝え方も大概だけど。

 

今思うと、あの出来事こそ私にとって適切な「通過儀礼」だったんだと思う。我が強い、盲目だった私には、これ位の脅迫が無いと、いつまでたっても変わらないままだったと思う。

 

変わらなくても良い事もある。でも、外見に対して、社会的な活動の狭さに対して、母も心配するくらいだった。

 

「アイプチとかしないの?私の時代にも普通だったし、しなよ。」

「アイプチするくらいなら、埋没をお勧めするけどね。」

「洋服それでいいの?」

「お化粧は?」

 

つまり、母も、私の学生時代の外見を心配していた。一緒にショッピングも行ってくれなかった。でも、変わってからは違う。「わー!似合うねえ!」「これ買ってあげるよ!」「ピアス、これならいいんじゃない?」母の笑顔が増えた。それは、学歴コンプレックスを克服した姿の私と接する以上に、外見が変わった私と常に行動したがるほどの心からあふれる母としての喜び。

 

「可愛くないとダメだよ!」

「でも、高飛車や、お高く止まる様な女性になっちゃ、駄目なんだよ!」

 

この二つは、よく言われる。

 

そろそろ、身の丈を知る通過儀礼をまた、経験しなくちゃいけないみたい。好きな人と好きになれるように。今度はどんな試練があるのだろう。

 

何となく、解ってる。発達障害のカミングアウトの仕方だ。その為に、どんな自信をつけなければならないか。その人に依存しない様に、メンタルを病まない様に、色んなコミュニティや友達を作る。私の場合は特殊なケースになってしまうけれど、一つ一つ、基盤を作って行けば、大丈夫。

 

何とかなる。何とかしなきゃ。自戒を込めて。前進しよう。

 

 

プライベートサロン(美容院)に行った話

青山エリアとだけ書いておく。1日何名限定の、1人+アシスタント2人の美容院。基本、紹介制か独立前に得た顧客がメインのお客さん。独立し、プライべーサロンを開店した美容師さんはスタイリスト歴20数年歴の方で。

 

それが数年ぶりに、ホットペッパー以外の、しょぼしょぼなマイナーサイトで新規歓迎クーポンが載っていて。そのカラクリを知らないで、予約。

 

予約した時から嫌な予感はしていて。一番早く予約できる日が来週末。時間はいつでもいいのに。「ちょっと考えさせて。」と改めて考える。もういいや、と思い、予約の電話を入れると、音声ダイヤルに。「近くにおりません。」暫くしてかけ直すと、今度は男性の方。お年を召している感じから、恐らくこの方が、独立なさった20数年歴の美容師さんだ。

「先ほどお話しいただいた通り、来週末の〇時で。」というと、びっくりしたように「へ?ら、来週末なんですか?わ、解りました。」

 

そして当日。受付のお姉さんがあわただしく対応。

 

こちらにお座りください。今回担当させていただきます・・・・

 

ええええええええええええええええええええええええ受付のお姉さんが!?

 

隣は恐らく例の美容師。その方はブローで接客中だ。終えた後、タバコをふかしに中庭へ。その後、バックステージに。

 

すると、担当のお姉さん、急に態度がギャルになったw対応中もギャル。喋り方もギャル。例の美容師のいる前では「固定客・富裕層扱いの対応」に変化。

 

そして、お会計。名刺と、次の割引クーポンを渡されて。

 

そこで全て合点が行った。アシスタントの女の子の顧客ゲットの為の新規客開拓だったんだ。私は、某に切っていただきたく・・・・。まあ、一見さん相手にそりゃあないわな。

 

で一連の流れは全て彼女が対応したので人件費は勿論かからないはずの値段設定なんだけど…。そこは流石、青山エリア。クーポンつかってもボるよなあ、って値段ねw

 

まあ…整ったからいいんだけどさ。申し訳ない様な感じで某が挨拶、挨拶、挨拶。ただし、名刺は無しwお前だよ!切って欲しいのは!あんたを探し当てた理由や、わざわざ時間割いて指定日に来た理由や、追いかけてやっと切って貰えるー!みたいな理由を聞いてただろ、バックステージでw

 

所詮、コネって大事だなーって思ったとさ!

大学生ゴッコ

楽しかったよ。「これが健常者たちの大学生生活のひとコマか」と感じた位。

でも、まあ、良くも悪くも類友で(発達障害ではないけれど)。あと後輩に関しては「ああ、だからフラれたんだな…。」と思わんばかりの生態を知れて、良かった。

 

…良かったよ、好きにならずに済んで。ただ、私自身、やはりインテリ系が好きだという事は十分わかったので、次のステージに注視したいと思う。

 

まずはキャラ設定もさることながら、企業研究ね。カンペやアドリブも効く様にしないと、アワアワしてしまう。まだ時間はある。やる気になったら(2,3日前あたりかな)ADHDスペクトラムを活かしてカンペ作りだ。

 

ってか、年上でもいい。同じトコを出た人ならね。ホント…ピンキリなんだなあ…。

 

とにかく後輩はもういいや(怒)

 

鬱の波が消える時

今朝は気分が良い。

同期会から1カ月ほど。先日は同期会縮小版。何を考えたのか、私は、もっと人脈を広げたいと思った。無職の癖に。恐らく、私は調子に乗っている。人員と環境という条件が整った中で、目立ったヘマもせず、うまく過ごせたものだから、涙をのんで帰宅する事が無いお出かけが続いたから。それもこれも、私が、参加するイベントを敢えてスクリーニングしてるからであって。なのに、この万能感。だから、調子に乗っているんだ。

 

私は、1カ月前に会った同期にFB登録申請を1人、同期会縮小版でさらに1人、申請した。そして、コミュニケーションが取れた。たった「今後ともよろしく」と言った表面的な挨拶程度だったけれども、嬉しかった。

 

そして、今朝、何気なくその二人のFBを見た。穏やかで、仕事に夢中で、楽しそう。何だかこちらまで幸せになってくる。

 

そんな時、私は、実際は何も直接的に関わっていないにもかかわらず、社会的に充実したかのような錯覚を覚えた。そして、

 

働きたい

 

そう思う様になった。1年に2,3度ほど訪れる、一気に転職活動したい気持ちの、あの波だ。

 

私は、過度な期待をしてしまい、発達障害の就労機関や障碍者ビジネスで大した情報も得られずガックリ来てしまう。そうこうしている内に、また鬱の波がやってくる。転職活動で体力・気力を使ったほど鬱の期間は長くなる。

 

医師は、「また動ける」と思っても、通常通りに過ごさないと、またヘバるぞ。

 

と言っていた。私は今、何度かの鬱の波を経て、人生における目標がどんどんと低くなっている。

 

もう、バイトでいいか…

 

完全にブレている。軸がブレて、今まで生きてきた意味を帳消しにする位、意味をなさないタイプの意味で「フリーター」になろうとしている。

 

バイトでもいい。でも、キチンと誇りを持って胸を張れる、そんなタイプの意味で「フリーター」になれたらいいのに。まだ、そこまでいけていないし、その職種が解らない。

 

これ以上考えたらまた鬱の期間が長くなるかな。とりあえず、自分がリラックスできるひと時を、大切に過ごそう。

 

鬱の期間が徐々に短くなるように…。

鬱の波が消える時

今朝は気分が良い。

同期会から1カ月ほど。先日は同期会縮小版。何を考えたのか、私は、もっと人脈を広げたいと思った。無職の癖に。恐らく、私は調子に乗っている。人員と環境という条件が整った中で、目立ったヘマもせず、うまく過ごせたものだから、涙をのんで帰宅する事が無いお出かけが続いたから。それもこれも、私が、参加するイベントを敢えてスクリーニングしてるからであって。なのに、この万能感。だから、調子に乗っているんだ。

 

私は、1カ月前に会った同期にFB登録申請を1人、同期会縮小版でさらに1人、申請した。そして、コミュニケーションが取れた。たった「今後ともよろしく」と言った表面的な挨拶程度だったけれども、嬉しかった。

 

そして、今朝、何気なくその二人のFBを見た。穏やかで、仕事に夢中で、楽しそう。何だかこちらまで幸せになってくる。

 

そんな時、私は、実際は何も直接的に関わっていないにもかかわらず、社会的に充実したかのような錯覚を覚えた。そして、

 

働きたい

 

そう思う様になった。1年に2,3度ほど訪れる、一気に転職活動したい気持ちの、あの波だ。

 

私は、過度な期待をしてしまい、発達障害の就労機関や障碍者ビジネスで大した情報も得られずガックリ来てしまう。そうこうしている内に、また鬱の波がやってくる。転職活動で体力・気力を使ったほど鬱の期間は長くなる。

 

医師は、「また動ける」と思っても、通常通りに過ごさないと、またヘバるぞ。

 

と言っていた。私は今、何度かの鬱の波を経て、人生における目標がどんどんと低くなっている。

 

もう、バイトでいいか…

 

完全にブレている。軸がブレて、今まで生きてきた意味を帳消しにする位、意味をなさないタイプの意味で「フリーター」になろうとしている。

 

バイトでもいい。でも、キチンと誇りを持って胸を張れる、そんなタイプの意味で「フリーター」になれたらいいのに。まだ、そこまでいけていないし、その職種が解らない。

 

これ以上考えたらまた鬱の期間が長くなるかな。とりあえず、自分がリラックスできるひと時を、大切に過ごそう。

 

鬱の期間が徐々に短くなるように…。