どーしよーもないけど何とかなる

日々の恋愛、身体の事、コミュニケーション障害の事、美容の事などなど。その時の気分で書きなぐります!

若い喪女と30代の小奇麗

学生時代の写真が出てきた。勉強ばかりで、その割に学内では劣等生。何かに秀でている訳では無く、オシャレや見た目に気を使う事も無く、「無邪気」なだけが売りのキャラクターだった。ニキビ面の喪女。

 

卒業してアイプチして、女のステータスが一気に上がり、自信が付いた。それでも外見に気を使わず素材を大事にするという建前で清潔感も意識しない、社会不適格な女だった。

 

そして、ようやく外見に気を使う様になった24,25歳。ブリーチして茶髪にして、ピアスの穴を空けて、ルブタン履いたり、クラブ行って服のジャンルが変わったり。一通りオシャレを経験し、アラサーに入り黒髪の美しさに息を飲んだ事で、髪を黒髪に戻した。

 

サイトで一般人が自分のヘアスタイルをアップしていた。黒髪の茶褐色の肌をした少し大柄な女性。年齢は30代だったと思う。同じ年代の女性。サイトに自分の顔をモザイク無しに載せる位だからかもしれないけれど、私から見たら自意識が強そうで自分に自信がありそうな女性に見えた。

「うわっ」と思った。素敵とは思えなかった。美人じゃないとか、可愛くないとか、好みじゃないとか、なぜ自分が拒否反応を示したのか、パッと見て解ったから。

顔と髪色とヘアスタイルと、全てがミスマッチに見えた。若かりし自分と重なって見えた。どうしても、敢えて自分の素材を変えない。親からもらった自分そのままありのままで勝負したい人生、みたいな変な意地。

私がそのサイトをマジマジ見ていたら、母が「貴女と雰囲気が似ているね。」と言った。解ってはいたけれど、嫌だった。

「どこが似てる?」

「髪の毛が黒くてー、顔も何となく感じが似てるよね。」

そう言われて、ダイエットした。髪も、茶髪に戻した。6キロ痩せて、着れる服の幅も増やした。

昔の写真が出てきた。学生時代の、喪女時代の私の写真。若くて、年齢の若さ故にすべてが許される、何もかも挑戦できる、期待と夢が無限に満ちた時代。

その写真を見て母が言った。「この頃の貴女より、今の貴女の方が、何だか若々しく見えるよ。髪も今の方が艶っ艶だし、綺麗だし。目も輝いていてスタイルも良いし。」

 

世間では黒髪ブームで私も黒髪の方が上品だと思う。けれど、「似合う人だから似合う」のだと思う。「日本人だから」とかではなくて。

色白

スタイルの良さ

茶褐色の肌であれば美人さん、可愛らしいお顔。

鼻筋が通っていて、顔のパーツの配置が整っている。

などなど…。

色々な条件が重なったりして、黒髪が許されるのだと思う。残念ながら、私は痩せても顔が垢抜けないし、野暮ったくなるのだ。茶髪で誤魔化せる。その事を悟らせてくれた、教えてくれたのは、たまたま見ていた、自分の写真をアップしていた例のサイトの一般人女性。

雑誌やテレビ、ハイブランド系やアパレルサイトを見ると、美しい、可愛らしい人しか出てこない。だから、自分がやってはダメだ、と解りにくい。迂闊にまねをして、「美しいから、素敵だから自分もやってみよう」と手を出して、自惚れた姿になってしまう。

AKBや中の下位の女の子・女性達は「自分と重なるところは無いだろうか。」「自分も、あんなふうになっていないだろうか。」と悟らせてくれる、反面教師の存在になってくれる。そういう意味で最近の見本は「ゆきりん」「指原」「雨宮天」「北条かや(愛情に飢えている・スペクトラムで丁寧に年を重ねられなかった人)」。その反面、良い意味で「高月彩良」「清水ミチコ」「波瑠」「ヨンア」「渡辺蘭」などなど…尊敬の意味でお手本にしたいな、と思える人達も居る。

 

反面教師の為のアイドル。憧れるアイドル。外見ペルソナの為のアイドル。教養の為のアイドル。

 

自分らしさの個性を埋没させない事、世間様とすり合わせする事のバランス。

小奇麗に垢抜ける事と、適度に気を抜く事。

 

もう、私は若くない。だから、若さだけを免罪符にして喪女のままでいる事は、許されないし、恥ずかしい事。だったと思う。これからも、常に美意識をアップデートして行こう。