健常者から見た、私の価値(ほんの一部)。
先日、同期会?に参加した。発達障害関連の人達と関わりのない場所へ行ったのは、久しぶりで、半年ぶりだった。健常者がほとんどの会は緊張したけれど、有益な情報も得られた。
・黙っていれば可愛い。
・お上品。黙っていれば。
・国立大卒の医師は理想が高い。高望み。
・ウチの学校の底辺学部卒なら紹介できる。
・黙って笑っていれば、敵陣の法学部卒を紹介できる。
・危なっかしい
・スレていない
・真面目
・恋愛にイノシシタイプ
・営業職に居そうな人っぽい。
だそう。
因みに、私と話をしていて、何となく違和感を抱いたのか、「天然?」と言われた。
まだまだ理解の無い人達かもしれない。対外的にも印象が更に悪くなることを恐れて、「発達障害のADHDとスペクトラムのグレー」に関する事は言わず、「世間様とちょっと感覚がズレている所がある。」とは言った。
すると「ああ、至極納得。」と言った様子だった。自分でランクを下げてしまった。この場合、何て言ったら良かったかな。
発達障害ではないけれど、同じ穴の狢だからこそ、気が楽だった。その中の本音を幾つか拾えてよかったとは思う。
自分の障害を隠して生きるなんて絶対に無理だ。最低限のマナーをもって、世間様とすり合わせをしつつ、無理のない範囲で生きる、これ位しか私には出来ない。言い切ってしまうけれど、やはり「健常者のふりをする」事は現実的に可能とは思えない。
何故なら、我が強い私の性格上、それが出来ていたら、とっくの昔に演じていたし、上っ面で生きてこれたはずなんだ(黙っていれば可愛い)。
色々な課題は沢山見つかった。色々な発見もまた見つかった。
健常者たちと戯れる事も、たまにだからこそ必要な息抜きになれたかな。少なくとも、傾聴ばかりでソリューションを何もできないカウンセラーよりは、十分有益なひと時だった。恥をさらけ出して話し、辛い思いを思い出して心理的負荷がかかるだけで、何も前進しないというデメリットを考えると、ただの「辛いツライ愚痴吐き」にしかならないからだ。
馬鹿と鋏は使いよう、と言う。友人関係を失う恐れがある様な、どうしようもない無駄話の時は、カウンセラーも必要だと思う。精神的に落ち付いた後、弁護士に相談するなり次のステップにシフトする事も可能だから。
うーん。楽しかったな。