最終学歴が、パスポートではなくなってしまった日。
変な夢を見た。
先日は、例の医師に会って、引き続き進路相談をした。その際に、最終学歴の確認をされた。
数年前の学生時代に学校から紹介状を貰って初めて診察を受けた〇大病院の時と同じ。学生時代のOBが担当医だった。その時に研修医にも「でも見て?彼女は院卒なんだよ。このことをどう思う?」と部屋から声が聞こえた。
その時を思い出した。だから「ああ、やっぱり最終学歴で人となりを見るよね。そして最終学歴のソレが私のアイディンティティ。」そう思いながら、最終学歴を答えた。
すると、「うーん。」と唸り、「失礼ですが、大学は…どちらですか?学部は?」
答えた。
「では、高校はどちらですか?」
答えた。
「御免なさい、偏差値で言うと、大体どのあたりですか?」
答えた。
「仰る通り、確かに。では、何故、この大学院に入学できたと思いますか?」
「貴女は、この大学院で、上手く生活が出来なかったとおっしゃいましたが、その理由は?」
「そういう方々が居る中で、何故あなたは入学できたのだと思いますか?」
「研究はどの程度詰める事が出来ましたか?」
「環境と資質、解りました。では、学歴に関しては以上です。」
そう言われた瞬間。私は素直に伝えたつもりだけれど、もっと背景を知ってもらえると思った。でも、結果が全て。私は初めて、出身高校を恥じた気がする。
それの尾を引きずっているのか、夢を見た。
「先生、私、中学の頃、イジメに遭っていて。出席日数に問題がない程度に登校する事が精いっぱいだったんです。」
「勉強も、家に帰れば学校生活での精神的な維持に疲弊して、勉強できませんでした。」
「相対評価だったので、100点とっても5を取れるわけではないんです。」
「高校もそうでした。」
「先生、あと、高校は今調べて見たら偏差値が〇〇でした。」
そう、見苦しくも一生懸命に弁解する私。はっと目が覚めて、高校時代のイジメっ子が私を虐めていた。私は思いっきり威圧して、彼女の存在をふり払った。私、自分の今までの頑張りを否定したくないんだな。でも、実力はなかったっていう事も自覚しなきゃ。その折り合いを考えなきゃ。
…という所で、改めて、夢の中で夢を見ていた事に気が付いた。
「高校の偏差値、調べて見ようか。」
気が付くと、私はこうしてネットを開いていた。そして、やはり偏差値は…話した通り変わらず。ここで、私は先生に、中学時代や高校時代による低学力を話をすべきか。それともそれは、いじらしい?自分の中でスッキリしたいか?結局のところ、最終学歴で「つまる」という事は、中学・高校時代に然るべき「成育過程」を経ていなかったからで。答えは一緒じゃないか。とも思うんだけれども…。
でも、努力を否定されたくない。切り捨てられたくない。
その一方で、お情けで卒業できた、修士号を取得できた現実。
それはそれとして、すべて話したうえで、現実的に弱者だったことを伝えたい。話したうえで、「そういう背景により劣等生だった」と「希望を含むような印象を残したい」のだ。