どーしよーもないけど何とかなる

日々の恋愛、身体の事、コミュニケーション障害の事、美容の事などなど。その時の気分で書きなぐります!

身の丈を解らない女子や女性達

散々語り尽くされてきたテーマだとは思うけれど、私も実体験を通じて痛感した事があったので、綴ってみたくなった。ドラマのタラレバなんちゃらとか、一昔の恋愛工学だとか、実際は読んだりしてはいないけれど、概要を色々と耳にする事で、急に学生時代の自分を思い出してしまって。

 

要するに、身の丈に合わない人とどうにかなりたい、という事なんだろうと思うけど、これは女性の立場からの意見の身になるけれど、女の子として産まれたら当たり前だと思う。良い遺伝子を残す為云々と言った自然の摂理の話は、ここではしない。私は、可愛がられて育った女の子が、世間で「自分と他者」を知って「身の丈を知る」「成長する」「身の丈を知る」「成長する」…を繰り返し、女性になっていく事が、「通過儀礼」だと思っている。ごくごく一般的なパターンで育った場合の話ね。

 

私は、発達障害や虐めを経験して、所謂、承認欲求が満たされていない学生生活を送っていた。それでも、学問を励んで頑張り屋の姿を認めてくれる、誰かが好きになってくれる、自分もそんな一所懸命な生き方(間違った方面を見た努力をしてた事に気づかなかったけど)をしている自分を誇りに思っていた。自分が、大好きだった。

 

正直で、素直で、まっすぐで、正義感があり、でも弱者。だから、学問を頑張って、何とか認めて貰いたい。そして女として異性として、誰かに守って貰ったり、戦力として頼られる存在になったり…そんな理想を胸に、ただただ毎日を過ごしていた。

 

本当に、自分が見えていなかった。

 

そんな自分に近寄ってきた人は…衝撃で絶句だった。ガンで余命を診断されたかのような、絶望感だった。今までの自分の人生は?これからだと思っていたのに、私の頑張りの結果が…この結果なの?

 

私はそこで、初めて「自分の商品価値」を痛感したんだ。帰りはどうやって帰宅したのか覚えていない位、ショックだった。

 

発達障害ゆえか、私は身支度やメイクなど、「女の子らしい華やかさ」に興味関心が全くなかった。虐めに遭うまでは、友達付き合いとして流行を追った外見をし、整えていたものの、基本的には基礎的な身支度が出来ないでいた。そして、適応障害になって、更に拍車がかかって、清潔感さえ失っていた。

 

その時の私は、165cm、58kg、丸顔、ニキビ、一重、オシャレな服なんて当然着ないし、カジュアルな服だって着こなせなかった。それでも、真面目な性格や学歴コンプレックスからくる学問の向上心という「中身」の自分がアイデンティティ-だと、何度も繰り返してしまうけれど、誇りであり、ポリシーだった。

 

でも、その位の我の強い私を壊され、現実を思い知った出来事が、先に述べた事。

 

「乙女心」が持つ「芯の強さ」だと思っていた信念は、崩された。

 

そこからは、大変だった。まずは今まで信じていた清らかな心を棄てなくてはいけなかったから。自分をまずは「否定」する。

 

親からもらった顔を、偽るという行為をする。「メイク」をし始めた。

 

アイプチをした。

 

丁度その時、体調を崩してしまって、体重が50kgになり、着ていた洋服もブカブカになった為、新調した。

 

洋服のセンスを変えた。

 

フェイクのパールのピアスやネックレスをした。

 

それだけで、今まで虚勢を振る舞い見下していたような娯楽施設にも、入れるようになった。オシャレなお店にも入れるようになった。色んな人と堂々と目を見つめて色々な事を尋ねられるようになった。行動範囲が広がった。文化的な経験値が一気に高まった。

 

それまで、一般的には友達とワイワイ学生時代に経験するはずだったことを、社会人になって初めて経験した。

 

学生時代の、同窓会に参加した。

 

私をバカにする様な人は、もういなかった。遠巻きにこちらを伺っているが、馬鹿になんかしてこない。

 

私に近寄ってきた人は、私を見るなりフェードアウトした。

 

自分を「否定」する。この行為が本当に辛かった。今まで美しいと感じていた価値観の真逆の事が、社会において適していた事だったから、本当にショックだった。でも、このショックと引き換えに、迫害される事もなくなった。色々と友達の輪も広がった。

 

勿論、中には悪い人もいた。それを見定めたり見抜いたりしなければいけない処世術も、身に付いた。

 

その事で、矛盾している様だけれども、本当に自分が理想としている人と親和性が高まってきたと思うし、付き合っていった方が良いお友達をふるいにかけて見定めたり、適度な距離を置くという対人関係も出来てきたと思う。

 

あの時の出来事は、本当に、本当にショックだった。

 

アラサーになって、厳しい現実を突きつけられてしまった世間の女性達よりも、ショックは強かったと思う。だから、オシャレで仕事もして合コンに行ったり出来る様な、学生生活もそれなりに華やかだった女の子達が、アラサーになって壁にぶつかっている事。それなりに真っ当な人生を送ってきた女性達がアラサーになって理想的な結婚や恋愛を出来ない事に対するショックを受ける気持ちは、凄くよく解る。

 

妥協しろ、という言葉は適切ではないと思う。成長のために、一旦、自分を否定して、自分をアップデートする勇気。

 

そんな事、簡単には出来ないと思う。私だって、あの時の経験がなければできなかったから。

 

どんな経験か?

 

あの時、外見に気を使わず、自分に誇りを持っていた、自惚れていて、自分の素こそが純粋で美しいと思っていた時に起きたショック。

 

それは、モッサリ系のメガネでコミュ障、ドラえもん体型で、顔は銀魂に出てくる某バカ皇子。顔もまん丸太っていて青髭、背は160cmあるかないか。ナルシストな同級生に告白された事だ。

 

今まで、その同級生は中高と好きになった子に対して告白するも「生理的に無理」と断られたり、大学時代では告白されて「キモい…」と言って泣いて走って去ってしまった女の子もいた位だった。(本人談)

 

そんな人が私に、告白をしてきた。

 

「貴女を見ていると、僕よりも可哀想な人がいるんだって、安心するから。好きです。付き合ってください。」

 

色々と、苦笑いしてしまう様なダメージが大きいそれらの言葉は、当時の私には核爆発波の威力だった。勿論、私が説明したその同級生に対する人物像の印象や伝え方も大概だけど。

 

今思うと、あの出来事こそ私にとって適切な「通過儀礼」だったんだと思う。我が強い、盲目だった私には、これ位の脅迫が無いと、いつまでたっても変わらないままだったと思う。

 

変わらなくても良い事もある。でも、外見に対して、社会的な活動の狭さに対して、母も心配するくらいだった。

 

「アイプチとかしないの?私の時代にも普通だったし、しなよ。」

「アイプチするくらいなら、埋没をお勧めするけどね。」

「洋服それでいいの?」

「お化粧は?」

 

つまり、母も、私の学生時代の外見を心配していた。一緒にショッピングも行ってくれなかった。でも、変わってからは違う。「わー!似合うねえ!」「これ買ってあげるよ!」「ピアス、これならいいんじゃない?」母の笑顔が増えた。それは、学歴コンプレックスを克服した姿の私と接する以上に、外見が変わった私と常に行動したがるほどの心からあふれる母としての喜び。

 

「可愛くないとダメだよ!」

「でも、高飛車や、お高く止まる様な女性になっちゃ、駄目なんだよ!」

 

この二つは、よく言われる。

 

そろそろ、身の丈を知る通過儀礼をまた、経験しなくちゃいけないみたい。好きな人と好きになれるように。今度はどんな試練があるのだろう。

 

何となく、解ってる。発達障害のカミングアウトの仕方だ。その為に、どんな自信をつけなければならないか。その人に依存しない様に、メンタルを病まない様に、色んなコミュニティや友達を作る。私の場合は特殊なケースになってしまうけれど、一つ一つ、基盤を作って行けば、大丈夫。

 

何とかなる。何とかしなきゃ。自戒を込めて。前進しよう。