どーしよーもないけど何とかなる

日々の恋愛、身体の事、コミュニケーション障害の事、美容の事などなど。その時の気分で書きなぐります!

日本社会に苦しむ帰国子女たち

とても素敵な文章を読んだ。両親の仕事の都合でシンガポールに住み、そこで言葉の壁や価値観に悩みながら乗り越え、帰国してからも日本人育ちの彼らにとって嫉妬と妬みと尊敬のまなざしに苦しまされ、また(本来なら母国であるはずの日本で)現地化する様に努力する…といった帰国子女特有の度々聞く内容だ。ただ、とても解りやすい文章で読み手がイメージしやすい言葉で綴られており、私は「美しい日本語を読んだ」「的確な表現で自分にはもどかしい気持ちを上手く伝えられる事が出来るだろうか」と、ただただそのブログの筆者に感動した。久々に、長文を止める事も無く読み終える事が出来た。

記事の内容について色々と考えさせられてしまった。これは素敵な文章を書いたその人を批判する内容かもしれないのだけれども、とにかく色々な複雑な感情が芽生えた。

1.健常者だからこそ乗り越えられた壁

2.見方や考え方を変えると、(やはり)実はとても恵まれた環境に居た事に気づいていない。

3.帰国してから、日本育ちの日本人になる為に頑張って勉強しなければならない事に「壁」だと感じているが、彼ら(日本育ちの日本人でさえ大学や会社に行くと)も皆と同じ水準になれずに「壁」を感じている人たちが大勢いる。

彼は努力し適応しようとする前向きな姿勢に否応なくさせられたけれども、そもそもそれを受け入れてキチンと成果を出せるまでに順応できる資質があったという事だ。冷たい言い方をすると「なら帰国すれば?」だ。両親に泣きつき、日本にいる祖父母や親族にお世話になることだって可能なはずだ。もし頼りになるツテが居ない場合、日本の私学で寮生活を送る事も出来る。それでも「現地で無条件に降りかかってきた苦労」に取り掛かった彼。そして、ただでさえ、その苦労がとてつもなく辛い道のりだったことは痛いほど伝わってくる。と同時に思い浮かんだのは「発達障害者や身体障碍者だったら、難しいよな。」という事だ。

つまり、国が違えど、同じ日本国内でさえ同じ日本語なのにコミュニケーションが上手く取れない、その勉強の仕方さえ解らない、そして疲弊して思考が上手くまとまらないと言った精神疾患に陥る発達障害の方が、余程ハンディだと思うのだ。

健常者である彼は、まともなソリューションを脳内で練りだして実践した。彼は、その苦労でさえ、「日本育ちの日本人ならしない苦労」だと思うかもしれない。日本育ちの日本人であっても「言葉による苦労」は、実は沢山ある。帰国後にどんなに一生懸命に日本語や漢字を勉強しても誤解を生むことがあるかもしれない。でも実は、その誤解でさえ、日本育ちの日本人は笑ってやり過ごしている事を彼は気づいているだろうか。いちいち指摘したりはしない「空気」。そして不用意な発言や不快にさせる言葉でさえ「帰国なら仕方ないよね。」「ちょっと理解しにくいところだったのかもしれない。」と日本育ちの日本人独特の帰国子女ブランドのまばゆさに、条件反射で許してしまう。

でも発達障害ならそうはいかないのだ。「アスペ」「おかしい」「ちょっと距離置きたい」。そのミスコミュニケーションや不適切な行為を、健常者の帰国子女の彼の様に「適切な努力」が出来ないのだ。理由は、間違った方向で努力している事すら気づいていないし把握していないし、何が「普通」なのか前提としてピンと来ないからだ。

彼は、とても運が良い。努力する姿勢を持つこと、維持する事、資質や性格や健常者としての自分、そして周囲の大人。数奇の運に恵まれて、日本人育ちの日本人では成長できない「お得な環境」に居て内面的に大人になれていた事を、感謝しても良い事なのだけれども…。

そして、誤解を恐れずに言うならば、彼から見た日本育ちの日本人は、自分と同じ民度の人間しか見えていないと思う。教育的投資や外見的・内面的スペック、知的水準と教養と文化。彼にとって教養と文化はまだ足りないもので、日本育ちの日本人に劣っていると感じているまでは行かないまでも、それに近しい感情を抱いていると思う。彼らと一緒になれるために、そこを補おうと努力している様子がブログ記事を読むと、よく伝わってくる。

彼の中で、自分が「認めた仲良くしたい日本人育ちの日本人(憧れや、本来自分がなりたかった姿の彼ら)」しか見えていない気がする。

読んでいてずっと感じていたのは、「幸運的状況を苦労一色と思い込んでいる」という点と人生の中で「格差」が見えてこない事。それは「自分と自分が認めた日本人」から見たフィルターでしか物事を語っていないからだ。

そして「こうやってサバイブした健常者」でさえ、トラウマや苦労した経験を昇華しきれず、こうして薄暗い負の感情を自分自身の中で落としているのだから、発達障害の人間が子供時代に海外で生活する事になったらもう大変な事になっていただろうと思う。それこそが「本当の苦労」でドラマだよな、と思う。

健常者が突然海外で子ども時代を送って日本人らしさが失われた事に焦る話は、やはり、せいぜい「苦労したんだよね」「よくぞ真っ当に成長し、帰還した!」としか思えない。村社会で同じ人種の人間だけれどもカーストが存在してネチネチとした陰湿的ないじめや、成育過程におけるツライ出来事を乗り越えているチビッコ時代の「苦労」を経て大人になった日本育ちの日本人も沢山居る訳で。

形は違えど、成長する為の一種の通過儀礼だと思ってる。帰国子女の人たちの通過儀礼も大変だと思うけれど、人それぞれ、大変な苦労を背負ってる事をもう少し理解して欲しかったな…と言うよりも、自分や自分と同じ民度以外の下の人間なんて、きっと見れないとは思うけれど(笑)