どーしよーもないけど何とかなる

日々の恋愛、身体の事、コミュニケーション障害の事、美容の事などなど。その時の気分で書きなぐります!

自分のコミュ障を考えてみる。

何でコミュ障なのかな、とそもそもの事を振り返ってみた。

母からのスキンシップに飢えていて、話よりも「だっこ」ばかりだった。日曜日は公園に行っても母のキャッチボールは受け取らず、ブランコを押してもらう事ばかり。鉄棒や、ジャングルジムなど、母の手を借りてまで危ない事をしたくは無かったし、むしろ駄々をこねていた。とにかくブランコか、だっこ。

平日は、祖母に面倒を見て貰っていた。オシャベリな祖母は会話が通じない幼い私と会話をする事は無かった。やることなすこと気に入らないらしくて「嫌」ばかりだった私。可愛くねー。

口数は少なく、そのまま幼稚園へ。小学校の低学年。そして3年生になるころに、爆発的に話すようになった。一気に元気になった、と言ってもいいのかな。それは、担任の先生が音楽重視で常に音楽ばかりやっていた、今思うとマズいんだけれども、クラスは一体感があったし、そこに口数の少ない私も混じる事が出来た。何故ならピアノを習っていたので「コイツできるヤツ」として見なされていて、何かズレた発言をしても、授業で良い成績が出せなくても、クラス内で一定の市民権を得ていた。

5年生になって、女子のデリケートな世界が始まり、「我」を通すこと、「生意気」な態度を取られると嫌味を言う、不謹慎な奴になった。

一方、家庭内ではどうだろう。両親共に、良き人物だったと思う。平均的な家庭。ただ、あまり褒められなかったかな。茶化されたり、揚げ足取りをされたり。「文句があるなら100点10枚とって来て」みたいなオチで、いつもギャフンと言わされていた。父は特に論破型で、父に対してはもうぐうの音も出ない。あと恥ずかしいと言うか、デリカシーの無い事を言われた時、怒りに任せて言い返すと「え?だってホントの事なんだもーん(笑)」と言われて、その後に続く言葉が出てこなかった。

つまり、言い返せなかった。

でも、学校では不謹慎な奴なりに、嫌味な奴に対しては怒りに任せて嫌味で返したり、先生に伝えたり、「言われっぱなし」とか「ムカつくけど、黙っておくか」というスタンスでは無かった。

中2になって、いよいよ自分のこういう性格に非があるんだな、という事も自覚する一方で、イジメ主犯に思う所有りで、ギャップに悩んだ。既に、2次被害、3次被害が大きくて、堂々と反論したり、何か適切な対応を先生に求める事も、出来なかった。

一方、家では、「イジメ110番にでも電話したら?」と言った対応だった。ママ友から要らないアドバイス「貴女は子どもを大切にし過ぎ!子離れしないと!」との事だったらしい。後日談。でも、寄り添って欲しい時に、寄り添って貰えなかった…精神的にどんどん疲弊しているのに、見栄が邪魔して、電話とやらもできなかった。勇気が、出なかった。眠ると明日が来るのが、恐かった。急激に成績が落ちたのと、ただただ高校入試に向けて、「ちゃんと勉強やってるの?」「休んだら、絶対に登校できなくなるよ、気まずくて。内申点、どんどん落ちちゃうよ。」至って現実的なアドバイス!お風呂にも入るのも億劫だった。今思うと、鬱状態だったのかな。

つまり、中学時代は、なけなしの神経をすり減らして、ただただ登校する事だけで精いっぱいだった。会話なんて、出来る状況でも無かったし、空気を読むというよりも、存在を消す事に精いっぱい。

高校時代は、こじれたまま…学力もままならず、自分の理想とはかけ離れた偏差値の中堅より下辺りの学校に、不本意ながらに入学した。勿論、柄が悪い女の子も居た。中学に居たような知能犯では無くて、相手にする必要もない位、品位に欠けた柄の悪い女の子達。超どうでもいい。そんな気持ちで、無気力に面倒くさい日々を送った。

ここで、既に自分のコミュニケーション能力は、停まってしまったのかもしれない。努力次第で、どうとでもなる、失敗や成功を繰り返すうちに、空気を読んだりする能力や、適切な言葉でやり取りする様な対応力を、身に付けるための場数を貴重な10代で、既に放棄してしまったのだ。

学校でのイジメだとか、家庭での嫌味な事とか、誰でも「なんだかなー」と思う事は多少なりともあるはずなんだ。

でも、皆、少なくとも人生の通過儀礼を乗り越えて、自分なりの世渡りを身に付けていく。私はそれを見栄がまた邪魔して、自分の在り方や世間とのすり合わせを考える事に「放棄」してしまった。

中学のイジメもそうだけれども、突然降りかかった出来事に、ただただ驚き、あっという間にカーストが出来上がってしまって、もう既に、詰んでしまった。この圧倒的な世界に、私は成す術が解らず、自分が孤立した事が恥ずかしく、受け入れられず、虚勢を張るしかできなかった。

自己に降りかかった問題解決能力が、無かった。

家族に対しても、「イジメられてる」という事で、「イジメ110番」という話を母がしたけれど、父が事の重大さに気づいて、二人で私の部屋に来た時の、あの恥ずかしさ。その時、私は何て言ったのか。

「全然平気なんだけど!」「大丈夫大丈夫!」「転校なんてしなくていいから!」

馬鹿か私は。

この歳になって、未だに「君と話してると、まるで高校生と話してるみたい…」と言われる。そりゃそうだ。会話レベルが、中学1年生で停止しているんだもの。

私のコミュ障の原因の一つは、

親や家族に何かイジワルな事を言われ返されても、「何か切り返す」努力を放棄した事。

そして、状況的に、同年代の友達と会話する場数が圧倒的に少なかったからだ。

だから、傾聴というか、相手を受け入れる事しか出来ない。そんな自分だから、たまに自分の意見を相手に言うと、「素直だと思ったのに頑固なんだね」となってしまう。

真面目=イエスマン。これを体現してしまっていたらしい。

適度に、対人関係の初期段階で自己主張を上手く挟む事が出来たら良いのだけれども、「良い人でありたい」という気持ちと、「誤解を解く言語能力が低いが為に、面倒くさいから『うんうん』人の話に合わせてればいいや」といった、対人関係の努力を怠る事。

そう。恐らく、6割は私の怠慢だ。

アサーションってやつを、努力しよう。過去を振り返ってみて、怒りや悲しみが大きいけれど、楽しい思い出も、確かにあったんだ。それは「笑い」や「笑顔」だ。

ツボが違っていたのかもしれない。とにかく、笑顔で居たら、思えばコミュニケーションも円滑にできるようなキッカケになっていた気がする。

頑張れ、私。