自分のADHDに感謝。
勢いあまって、違う曜日の例の先生の診察へ行ってみた。勿論、進路相談をしに。発達障害やスペクトラムをいかに回避、或は逆手にとるか。そうした事が出来る適職は何か。色々と話を詰めていきましょう、という有難いお話を頂けたので、担当医に仁義を通してから数週間後、薬が切れてきたころにタイミングを合わせて例の先生の診察へ。
収穫は、あったと思う。私が話している最中、「おいおい、まだ全部話せてないぞ。」「言葉をさえぎられてしまう。」という点はあった。患者さんが沢山いたという事もあり、余裕のある時間帯を指定された。悪気は無かったんだよな、と思いつつ。
で、収穫の件だけれども、自分の考えと同じだったことと、それに対する提言と新たなアイディアが色々頂けたので良かった。
まだまだ材料不足だと思う。次回に、という事も言われたけれど、今回くれた話だけでも十分想像力が豊かなんだな、というのがよく解る事だった。いわゆる「世間を知っているな」という感じ。
具体的な内容は伏せるけれど、書ける内容を上げるとすると
「コッチの業界で言う所の〇〇にあたるか…」
「目標が明確ならエンドレスでも大丈夫、ただし、少数での対話」
「心理面フォローの責任が含まれるので、それはオススメ出来かねます。」
「その見栄は捨てないでください。」
「相殺されているので、長所を探さないでください。」
「得意科目は…通知表で良かったものは何でしたか」
「その研究は楽しかったですか?実りある成果になりましたか?」
「なぜそのバイトは大丈夫でしたか?」
などなど。
「あー段々解ってきました。突破口が解ってきたのでいったんここで切りましょう」と言われたので切り上げたけれど…言えることは、安心感。今までの心理士さんの時のようにガッカリする事が訪れた時に沈まない様に、あまり期待し過ぎないようにしないとね。でも、本当にツーカーなんだな、というのがよく解った。頭の回転の速さというか、久々にマトモな人と会話できた。
予約制ではない病院で。「今日、行こう。」と思った数十分後には家を出ていた。こういう時、良い意味のADHDが出て良かったな、と。
過去に書いたレジュメを用意しておいて、良かった。因みに今の自分では絶対に書けないレジュメだ。私、こんなに書いてたんだ…って思った。今じゃあ、無理だな。解ってる。症状は思った以上に進行している。語彙だって以前のようにパッと思い出せないし、慣用句だって、漢字だって…。
因みにこれも言わなきゃね、次回の時に。