ハイスペでコミュ力高い、けど残念系下品で面白い美女の扱い方
人を口で攻撃して優越感に浸る様な女が居た。彼女は確か、31歳。頭もキレる。私から見たら可愛いと思うけど(微妙に可愛い。好きな人は好きなんじゃない?みたいな。)、とにかく要領が良くて一刀両断、攻撃しちゃう。
それを察したのだろう。賑やかし役の女30歳が、ひたすら彼女を持ち上げた。好き好き好き好き大好き一緒に住みたいどこ住んでるの何してるの前の彼氏は好き好き好き好き・・・・要するに、女社会の咄嗟の判断力からくる行動だ。彼女もまた、頭がキレるんだろう。そのアンテナは、鋭く、その行動は、正しい。角を立てずに、その女をひたすら持ち上げる。
その場にいた私ともう一人の女、あと男8人は、蚊帳の外。
私からしてみたら、尖ってるその女は満たされずにマウンティング、都会に憧れる女の典型的なパターンでゆるーくさり気なくビッチ行動をする、若人に見えた。
賑やかし役の女も、自由奔放に生き、まだ「鬱」を知らない段階だな、と。
発達障害の私にとっては、彼女ら二人は正直「居るにこした事はない」程度だ。振り回されることはない。ストレスを感じる事もない。ただ。彼女達は私と友達になりたいとは思わなかっただろう。
何故なら、私は「影が薄い姿」を選択したからだ。恥じらいというか、「一歩引いた女」を選んだ。
と、いうよりも、積極的に暴走しなかっただけだけど。大人しく、にこやかに、黙って大食いしていただけ。
彼女達二人と友達になるよりも、他男性たちの人脈を大事にしたいと思った。だから、私はイメージを選んだ。
私は、彼氏が欲しい。人を好きになりたい。その気持ちが勝って、今までとは全く違う行動をした。大人になったのだろうか。解らない。ただ、今までになかった得られた収穫は、
・男たちからFBで登録希望が来た。(今までマトモ系男子から即座に来たことが無かった。)
・企画するからその時は是非!(マトモ系男子から企画に招待をにおわされた事は無かった)
・後輩リーダー系インテリ男子と少しは距離が縮ってきた。
その時に感じたのは、本命の人脈につなげられるような男子の前では「面白いキャラ」が出来なくなった。例えば余程面白いキャラが好きな人(後輩リーダー系インテリ男子みたいな)以外の
・インテリ系上手い事言う男子
・ギョーカイ系マトモ男子
・少し上品系イイヤツ笑顔男子
・爽やかモテル系面倒見が良い男子
な人には、「面白いキャラ」は封印してしまう。これでいいのかは、まだ解らない。けれど、解っている事は、あの二人の女に混ざってバカ騒ぎは出来ないな、と思った。私は卒業したかな…あのレベルは。
でも、居ても大丈夫レベル。私は彼女達で言うと、少しお姉さんキャラで良いと。
まあ…それでも徐々に女の子の質は上がってきたかなーと。コミュ力あるし。戦力になるし。私が振り回される事はないし。むしろ、小生意気な妹たちって扱いで、いいんじゃない?
結論。無理して付き合う事もない。彼女たち用のキャラ設定で女子会かな。
健常者から見た、私の価値(ほんの一部)。
先日、同期会?に参加した。発達障害関連の人達と関わりのない場所へ行ったのは、久しぶりで、半年ぶりだった。健常者がほとんどの会は緊張したけれど、有益な情報も得られた。
・黙っていれば可愛い。
・お上品。黙っていれば。
・国立大卒の医師は理想が高い。高望み。
・ウチの学校の底辺学部卒なら紹介できる。
・黙って笑っていれば、敵陣の法学部卒を紹介できる。
・危なっかしい
・スレていない
・真面目
・恋愛にイノシシタイプ
・営業職に居そうな人っぽい。
だそう。
因みに、私と話をしていて、何となく違和感を抱いたのか、「天然?」と言われた。
まだまだ理解の無い人達かもしれない。対外的にも印象が更に悪くなることを恐れて、「発達障害のADHDとスペクトラムのグレー」に関する事は言わず、「世間様とちょっと感覚がズレている所がある。」とは言った。
すると「ああ、至極納得。」と言った様子だった。自分でランクを下げてしまった。この場合、何て言ったら良かったかな。
発達障害ではないけれど、同じ穴の狢だからこそ、気が楽だった。その中の本音を幾つか拾えてよかったとは思う。
自分の障害を隠して生きるなんて絶対に無理だ。最低限のマナーをもって、世間様とすり合わせをしつつ、無理のない範囲で生きる、これ位しか私には出来ない。言い切ってしまうけれど、やはり「健常者のふりをする」事は現実的に可能とは思えない。
何故なら、我が強い私の性格上、それが出来ていたら、とっくの昔に演じていたし、上っ面で生きてこれたはずなんだ(黙っていれば可愛い)。
色々な課題は沢山見つかった。色々な発見もまた見つかった。
健常者たちと戯れる事も、たまにだからこそ必要な息抜きになれたかな。少なくとも、傾聴ばかりでソリューションを何もできないカウンセラーよりは、十分有益なひと時だった。恥をさらけ出して話し、辛い思いを思い出して心理的負荷がかかるだけで、何も前進しないというデメリットを考えると、ただの「辛いツライ愚痴吐き」にしかならないからだ。
馬鹿と鋏は使いよう、と言う。友人関係を失う恐れがある様な、どうしようもない無駄話の時は、カウンセラーも必要だと思う。精神的に落ち付いた後、弁護士に相談するなり次のステップにシフトする事も可能だから。
うーん。楽しかったな。
メンヘラに懐かれた日
昨日、某大学の発達障害者による勉強会に参加した。前回とほぼ同じメンバーだった。新しく見る顔も居た。小柄な女の子でやっぱり大人しい子。それでいて、気遣いが良いし、「彼女なりに積極性を身に付けたんだな」というおぼつかないサービス精神が、私には心が洗われる気分だった。
彼女は院卒。専攻とは全く関係のない職種について、就活は推して知るべし、という感じだったんだろうな、と。
意見交換の時に、まずはじめに挙手をしたのが、その彼女だった。理路整然とした話し方はやはり、知性の高さを伺えたし、恐らくスペクトラムの方なのだろうと感じた。
彼女の悩みは私とほぼ同じ。私はそれに対して皆の前では話せなかったので、立食の際に彼女に直接話した。内容が琴線に触れたようで、その後も積極的に私に話しかけてきた。お開きの際、私の袖を引っ張った。何だろうと見たら、彼女が連絡先を教えて欲しいと。
その日、長文が来た。これは。。。中々の内容だった。私の若い頃そっくり。けれど、彼女の一連のやり取りを見て、自分が何故、例の彼女に塩対応をされたり、セカンドの友人にさえセカンド返しをされたり、色々と解ってきた。
他人のふり見て我が身を直せ、じゃあないけれど、なるほど、あの時彼らが示した態度・言動は、こういう気持ちからくるものだったのか…と合点がいくものばかりだった。
私は今まで保護されるべき「面倒くさい子ども」としてみられていた。ピュアという言葉や素直、良い子など、素敵な言葉で誤魔化されていたけれど、要するに「介護しないといけない幼児」のような存在。加えて愚痴や相談、手の掛かる仕事を増やしちゃうような私の世話ををするなんて、まさに「面倒くさい」よねえ。
このコと一緒に居たいなー。と思う事は
・魅力を感じるか
・外見的魅力
・笑顔
・清潔感
・知識
・有益な情報を持つ人材
・メリットを感じるか
・楽しい+癒される+面白い
一緒に仕事をするのはNGだけど、友達としては別にOK、みたいなセーフラインを私は一つもクリアしていない。
発達障害だから、足を引っ張る様な人と仕事は出来ない。けど、友達の範囲なら許せるし大丈夫、と言った感じ。それが出来ていない。まず、発達障害以前に人として。
どういう人間と友達になりたいか。
「LOSAはピュアだから」
「LOSAの笑顔が見れて良かった―!お綺麗になって…。」
「LOSA、遊びにおいでね。あの…病む前に。悩みとか色々抱える前になら。」
「LOSAって、変わってるよね。変だよ。どの辺が?解らないけど。全体的に。」
今まで解らなかった事、腑に落ちない塩対応、よく解った。メンヘラにキチンと別れるために、傷を与える前に距離を置かれていたんだ。
そして、彼女から連絡が来た時、私はそのレスで完結する様な返信をしていた。やり取りを続けたくない。続けると面倒だ。でも、助けになるのなら、助けます。みたいな。
「LOSAも苦労したんだね。」上目線のレスに苦笑いしたけれど、イラっとはしなかった。おとなげないもんね。
彼女の打つ文章も、とても丁寧で、今まで私にこの低姿勢を批判してきた人たちの気持ちがようやく分かってきた。
人付き合いを沢山する事で、どの様な文章を書くのかとか、どんな表情になるべきとか、どうリアクションをすべきとか、色々解ってくる。これは年の功なのかもしれない。とは言え、まだまだだけど…。
あの会社でアルバイトしてよかった。少し下品になったかもしれないけれど、元気になったもの。
あの研究科を出て良かった。嫌というほど、エスタブリッシュな人間がどんな嫌がらせをするのか知ったから。
さて。私もメンヘラに懐かれる側になった所で、どう皆に振る舞えばよかったのか、やっとわかってきたかな。
外に出るって、良い事だよね。フィールドワーク、どんどんしていこう。経験値になるもの。言葉遣い、話ことばづかい、どんどん盗んでいこう。
発達障害の重症度
学生時代の発達障害者の会に今日、参加した。
正直言って、前回ほど「アクの濃い人達」はいなかったから、安心した。
今回は別のアプローチから。外見を整える回。結論から言って、こういう会に参加しようとする意志があるというタイプの発達障害者は向上心が正しく向いている人達で、「アクの濃い人達」は必然的にいなくなるのかと思う。
とはいっても世間的にはまだまだ「なんだなんだ?」という外見の人も居たし、そういうおぼつかない重症度の高い人たちもいた。皆良い人達で、思った事を正直にタテマエ抜きに正直に話すから、気が楽だし、話が早い。
今回、驚いたのは、コミュ力が高い人もフレンドリーの人も居た。外見が普通の様な男子もいた。恐らく、グレーと言う奴だろう。
女の子も、可愛らしい子だっていた。ごくごく普通の、可愛らしい女の子。
中には学部時代の私の様な外見に気を使わない女の子もいたけど、向上心のある子だった。
発達障害って、本当に人さまざまで、どういう所で悪い意味で爆発するか、解らない。だから、今回見た人達もたまたま爆発しなかっただけで。こういうグレーの人達が、一緒に居る事で、何がどうグレーなのか。関わっていかないと解らない所が徐々に解っていくのだろうな…。
今回は参加出来て、良かったと思ってる。
最終学歴が、パスポートではなくなってしまった日。
変な夢を見た。
先日は、例の医師に会って、引き続き進路相談をした。その際に、最終学歴の確認をされた。
数年前の学生時代に学校から紹介状を貰って初めて診察を受けた〇大病院の時と同じ。学生時代のOBが担当医だった。その時に研修医にも「でも見て?彼女は院卒なんだよ。このことをどう思う?」と部屋から声が聞こえた。
その時を思い出した。だから「ああ、やっぱり最終学歴で人となりを見るよね。そして最終学歴のソレが私のアイディンティティ。」そう思いながら、最終学歴を答えた。
すると、「うーん。」と唸り、「失礼ですが、大学は…どちらですか?学部は?」
答えた。
「では、高校はどちらですか?」
答えた。
「御免なさい、偏差値で言うと、大体どのあたりですか?」
答えた。
「仰る通り、確かに。では、何故、この大学院に入学できたと思いますか?」
「貴女は、この大学院で、上手く生活が出来なかったとおっしゃいましたが、その理由は?」
「そういう方々が居る中で、何故あなたは入学できたのだと思いますか?」
「研究はどの程度詰める事が出来ましたか?」
「環境と資質、解りました。では、学歴に関しては以上です。」
そう言われた瞬間。私は素直に伝えたつもりだけれど、もっと背景を知ってもらえると思った。でも、結果が全て。私は初めて、出身高校を恥じた気がする。
それの尾を引きずっているのか、夢を見た。
「先生、私、中学の頃、イジメに遭っていて。出席日数に問題がない程度に登校する事が精いっぱいだったんです。」
「勉強も、家に帰れば学校生活での精神的な維持に疲弊して、勉強できませんでした。」
「相対評価だったので、100点とっても5を取れるわけではないんです。」
「高校もそうでした。」
「先生、あと、高校は今調べて見たら偏差値が〇〇でした。」
そう、見苦しくも一生懸命に弁解する私。はっと目が覚めて、高校時代のイジメっ子が私を虐めていた。私は思いっきり威圧して、彼女の存在をふり払った。私、自分の今までの頑張りを否定したくないんだな。でも、実力はなかったっていう事も自覚しなきゃ。その折り合いを考えなきゃ。
…という所で、改めて、夢の中で夢を見ていた事に気が付いた。
「高校の偏差値、調べて見ようか。」
気が付くと、私はこうしてネットを開いていた。そして、やはり偏差値は…話した通り変わらず。ここで、私は先生に、中学時代や高校時代による低学力を話をすべきか。それともそれは、いじらしい?自分の中でスッキリしたいか?結局のところ、最終学歴で「つまる」という事は、中学・高校時代に然るべき「成育過程」を経ていなかったからで。答えは一緒じゃないか。とも思うんだけれども…。
でも、努力を否定されたくない。切り捨てられたくない。
その一方で、お情けで卒業できた、修士号を取得できた現実。
それはそれとして、すべて話したうえで、現実的に弱者だったことを伝えたい。話したうえで、「そういう背景により劣等生だった」と「希望を含むような印象を残したい」のだ。
自分のADHDに感謝。
勢いあまって、違う曜日の例の先生の診察へ行ってみた。勿論、進路相談をしに。発達障害やスペクトラムをいかに回避、或は逆手にとるか。そうした事が出来る適職は何か。色々と話を詰めていきましょう、という有難いお話を頂けたので、担当医に仁義を通してから数週間後、薬が切れてきたころにタイミングを合わせて例の先生の診察へ。
収穫は、あったと思う。私が話している最中、「おいおい、まだ全部話せてないぞ。」「言葉をさえぎられてしまう。」という点はあった。患者さんが沢山いたという事もあり、余裕のある時間帯を指定された。悪気は無かったんだよな、と思いつつ。
で、収穫の件だけれども、自分の考えと同じだったことと、それに対する提言と新たなアイディアが色々頂けたので良かった。
まだまだ材料不足だと思う。次回に、という事も言われたけれど、今回くれた話だけでも十分想像力が豊かなんだな、というのがよく解る事だった。いわゆる「世間を知っているな」という感じ。
具体的な内容は伏せるけれど、書ける内容を上げるとすると
「コッチの業界で言う所の〇〇にあたるか…」
「目標が明確ならエンドレスでも大丈夫、ただし、少数での対話」
「心理面フォローの責任が含まれるので、それはオススメ出来かねます。」
「その見栄は捨てないでください。」
「相殺されているので、長所を探さないでください。」
「得意科目は…通知表で良かったものは何でしたか」
「その研究は楽しかったですか?実りある成果になりましたか?」
「なぜそのバイトは大丈夫でしたか?」
などなど。
「あー段々解ってきました。突破口が解ってきたのでいったんここで切りましょう」と言われたので切り上げたけれど…言えることは、安心感。今までの心理士さんの時のようにガッカリする事が訪れた時に沈まない様に、あまり期待し過ぎないようにしないとね。でも、本当にツーカーなんだな、というのがよく解った。頭の回転の速さというか、久々にマトモな人と会話できた。
予約制ではない病院で。「今日、行こう。」と思った数十分後には家を出ていた。こういう時、良い意味のADHDが出て良かったな、と。
過去に書いたレジュメを用意しておいて、良かった。因みに今の自分では絶対に書けないレジュメだ。私、こんなに書いてたんだ…って思った。今じゃあ、無理だな。解ってる。症状は思った以上に進行している。語彙だって以前のようにパッと思い出せないし、慣用句だって、漢字だって…。
因みにこれも言わなきゃね、次回の時に。
さようなら、先輩。こんにちは、新しい私。
理想の男性が居た。結局私の創りあげた偶像だった。好きだった。社会人になってから色々な人達と出会い、その理想の男性に対する気持ちは「好き」ではなく「憧れ」であると気づいた。
理想の男性は、結婚、父親となり、サラリーマン記者となっている。世界を翔る男性になると思っていた。今では家庭的なお父さんだ。社会人となっていた私は本当の恋愛をし(終わったけど)、理想の男性に対する気持ちは憧れだけになっていた。そんな彼が、憧れの対象から外れてしまった。
一つの区切りとなった。私の一つの憧れは終わった。だから、もう、あのコミュニティに執着する必要が無くなった。
私は、本当に大事なものを見つけたからだ。献身的な愛、寄り添える手助け、内面的な共感、知識と体力と財力と行動力。
見栄なんていらない。本当にその人に必要な栄養。それを注いでくれる、あるいは手助けや応援してくれる人達。家族だ。私の家族こそ、一番大事。
そして、自立するためにいろいろな場所を見つけたい。自立とは、依存先を沢山存在する事。その前に、私は解っている事。それは、もうあのコミュニティには執着しない。それだけ。