どーしよーもないけど何とかなる

日々の恋愛、身体の事、コミュニケーション障害の事、美容の事などなど。その時の気分で書きなぐります!

発達障害と生き方と考え方と

私にとって、とてつもなく良記事と思える内容の記事と出会えた。

pashiko.hatenadiary.com

 

私の中で、もやもやとしていたものを鮮やかに解決して下さる様な内容だった。

後ろ向きな書き方でも無く、かと言って決して綺麗事で綴られていない、至って現実的で且つ建設的な書き方に、私は「素敵な文章だな」と感じた。

発達障害という内容はデリケートな分、どうしても感情的になりやすくなりがちだけれども、それを至って冷静に考え方を綴られていて、この方を尊敬する。

私は、アスペルガーを持つ方々と接する機会があるのだけれど、過去記事にも書いた通り、ショックを受ける事が多々あった。「その人の障害なのだから、言っても理解してもらえないのだから、しょうがない」「悪意が無い事なのだから、私が被害者になるだけなのは当たり前な事」と言ったもどかしい気持ちがあると、どうしてもこうしてココでグチってしまう。

自分がとてつもなく「嫌な奴」な考え方をしてしまう事も、ある。自分をなだめるために、自分が耐えるといった手段で気持ちを落ち着かせる私。

「彼らは障害を持っているのだから、私が不愉快な事をされても、しょうがない」この一言を便利に使って、彼らの人となりを結論付けていた。私自身の事も、そうして「大人の対応」として割り切っていたつもりだった。

でも、何ら解決には至っていない。発達障害として生まれてきた、十数年後、その人達が発達障害がある事を認めて受け入れても、対人関係スキルを学んでも喉元過ぎればな所はどうしても拭えない。

それも「しょうがない」と思って片付けようと思っていた時に、上記の記事を見つけた。

家族が理解する事で「早期的な対応」。今は、それが出来るんだ。

私は、生き難さを多々感じるし、それと向き合って生きていくつもりだったけれど、どうしても「障害」を受け入れずにいる。見栄だ。「そこまで重症じゃないけれど。」「スペクトラムってやつだもん。」でも、実際に仕事をするとボロが出過ぎ。もう、自分の性格をどうやって人生において「活かす」か、解らなかった。

早期発見という手段は、私の体験を通じて社会に還元する術になるだろうか。私には未だ解らないけれど、そういう路もあるのかな、と思った昼下がりだった。